諸葛亮
2006-01-24


降り込める雪に隠れし我が道に

           気づく人もなし 春はまぼろし


珍しく今年二度目の雪が降ったのが数日前。
車で走ると、田畑にはまだかなり雪が残っていました。
人の踏んだ跡もない、真っ白な雪・・・
きれいでありながら、どことなく寂しい。

ふと、劉備の訪れを受ける前の孔明を思い出しました。
溢れる才と、それを思う存分活かしたいと言う夢とを持ちながら
誰にも見出されず、田畑を耕す生活をしていた孔明。
晴耕雨読、とはのどかな響きですが、それははたして孔明の
本当の心境だったのかどうか・・・
「いつかは」と言う希望は、「もしかしたら、いつになっても」と言う
不安と背中合わせだったのではないでしょうか。
それに耐えることもまた、孔明にとっては必要なことだったのか。

まぼろしかとも思われた春は、やがて確実に孔明に訪れることに
なるわけですから。
[三国志]

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